大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5984号 判決 1994年4月28日

主文

一  被告は、原告に対し、金六四〇万円及びこれに対する昭和六三年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

理由

第一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金一億五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の商品試験所に勤務し、その勤務期間中にした発明につき被告に特許を受ける権利を承継させた原告が、被告を退職後、<1> (主位的に)右発明は特許法三五条所定の職務発明に該当しない発明であり、原被告間に譲渡対価の合意は成立していないが、右譲渡対価額は一億五〇〇〇万円が相当であるとして、その譲渡対価の支払を、<2> (予備的に)仮に右発明が特許法三五条所定の職務発明に該当するとすれば、原告が被告に対し請求し得る相当の対価は一億五〇〇〇万円であるとして、特許法三五条三項に基づき、その支払を求めるものである。

二  争いのない事実

1  当事者

被告は、マホービン及びマホービン用中瓶の製造、加工並びに販売等を目的とする株式会社である。原告は、昭和四六年一月一六日被告に入社し、昭和四七年五月二二日生産本部付次長に、昭和四八年五月二一日商品試験所長に就任し、昭和五八年二月二一日調査役に転じ、同年九月一五日被告を退職した。

2  本件発明

原告は、被告に在職中、被告の従業員田口良三(以下「田口」という。)と共同で、次の各発明(以下、これらを個別に指称するときは順次「第一発明」「第二発明」といい、これらを一括して指称するときは「本件発明」という。)をし、本件発明につき特許を受ける権利を被告に承継させ、被告の出願に基づきそれぞれ特許権(以下「本件特許権」という。)の設定登録がされている。

(一) 第一発明

発明の名称 ステンレス鋼製真空二重容器

出 願 日 昭和五七年八月二五日(特願昭五七--一四八一六二号)

出願公開日 昭和五九年三月一日(特開昭五九--三七九一四号)

出願公告日 昭和六二年八月一四日(特公昭六二--三七九七三号)

登 録 日 昭和六三年三月二四日

登録番号 第一四三〇九二七号

特許請求の範囲

「ステンレス鋼製の内容器と外容器とからなる二重壁構造を有し、両容器間に形成される空間部を真空にしてなるステンレス鋼製真空二重容器において、前記空間部を形成する壁面のうち少なくとも内容器の外表面に酸化被膜を形成し、該酸化被膜上に銀鏡層を形成して成ることを特徴とするステンレス鋼製真空二重容器。」(添付の公報(1)参照)

(二) 第二発明

発明の名称 ステンレス鋼製真空二重容器の製造方法

出 願 日 昭和五七年一二月六日(特願昭五七--二一四一三号)

出願公開日 昭和五九年六月一五日(特開昭五九--一〇三六三三号)

出願公告日 昭和六二年八月一四日(特公昭六二--三七九七四号)

登 録 日 昭和六三年三月二四日

登録番号 第一四三〇九三四号

特許請求の範囲

「1 ステンレス鋼製の内容器と外容器とからなる二重壁構造を有し、両容器間に形成される空間部が真空であつて、該空間部を形成する両容器表面のうち少なくとも内容器の胴部外表面に銀鏡層を形成して成るステンレス鋼製真空二重容器の製造方法において、二重容器を構成するステンレス鋼製の一部品の空間部形成面にZr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッタを装着し、該部品を他の部品と共に溶接して二重容器となし、次いで該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキすることを特徴とするステンレス鋼製真空二重容器の製造方法。

2  前記ゲッタがZr45~75重量パーセント、V20~50重量パーセント、Fe5~35重量パーセントおよび不可避的不純物からなる三元合金系非蒸発性ゲッタである特許請求の範囲第1項記載の方法。

3  ゲッタを装着するに先立つて、銀鏡層を形成すべき部品の表面に酸化層を形成する特許請求の範囲第1項又は第2項記載の方法。

4  銀鏡層を形成すべきステンレス鋼製部品の表面に形成される酸化層を、該部品を空気中または酸化性雰囲気中で焼成することにより形成する特許請求の範囲第3項記載の方法。

5  ゲッタを装着するに先立つて、銀鏡層を形成すべきステンレス鋼製部品の表面にニッケルメッキを施す特許請求の範囲第1項又は第2項記載の方法。」(添付の公報(2)参照)

3 被告における第一発明の実施

被告は、第一発明を実施してステンレス鋼製マホービンを製造販売した(但し、同発明の実施期間及び実施品の種類・数量等の詳細については当事者間に争いがあり、原告は、被告が昭和五八年一月頃から昭和六三年一月頃までの間に本件発明を併用して少なくとも合計一五〇〇万本のステンレス鋼製マホービンを製造販売した旨主張するのに対し、被告は、昭和五八年一月から昭和六二年末までの間に第一発明のみを実施して約四八〇万本〔第一発明の出願公開日〔昭和五九年三月一日〕後は約四〇〇万本〕のステンレス鋼製マホービンを製造販売したにすぎない旨主張する。)。

4  被告発明考案取扱規定に基づく原告に対する本件発明の出願権譲渡補償金及び登録補償金の給付

被告は原告が被告に在職中に、被告が制定している発明考案取扱規程(昭和四三年六月二九日実施分、以下「被告発明考案取扱規程」という。)に基づき、原告に対し、本件発明の出願権譲渡補償金合計一万円(各発明につき五〇〇〇円宛)及び登録補償金合計四万円(各発明につき二万円宛)を支払い、原告はこれを受領した。

三  争点

1  本件発明は特許法三五条所定の職務発明に該当するか、すなわち、本件発明は原告の職務に属する発明であつたか。

2  被告は第二発明を実施したか。

3  本件発明につき特許を受ける権利の譲渡対価はいくらが相当か。

第三  争点に関する当事者の主張

一  争点1(原告の職務に属する発明か)

【原告の主張】

原告は職務の遂行として本件発明をしたものではないから、本件発明は特許法三五条所定の職務発明に該当しない。詳細は次のとおりである。

1 原告の職務範囲

原告は、本件発明当時、被告が社内に設置していた商品試験所所長の地位にあつた。商品試験所は、昭和四六年一二月頃以降、被告製造の電子ジャーの鋼製部品から緑青が浸出する事故が発生して新聞に「緑青猛毒電子ジャー」などと書き立てられたり、製品の焼損事故が発生して東京消防庁から被告に改善要望書が送付されるなどして、その対応に苦慮した経験を教訓に、被告が昭和四八年に被告製品の安全性の審査と欠陥商品の発生の未然防止とを目的として社内に設置した部署であり、その設置経緯からも明らかなように、商品試験所の職務は、自社製品及び他社製品の性能の試験評価に限られていた。したがつて、本件発明がその技術的課題とする新製品のステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発や発明の如きは、原告及び田口ら商品試験所所属の従業員の職務範囲には属さず、それは社内において専ら技術部ないし開発部の職務に属することであつた。また、被告の主張するように原告が当時新製品のステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発をテーマに社内で度々催されていた一連の打ち合せや会議等に出席した事実があつたとしても、それは、原告が被告製品の安全性の審査と欠陥商品の発生の未然防止を図るという商品試験所の所長としての職責上、その職責を全うするために同席していたことを示すものにすぎず、原告が新製品のステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発スタッフの一員であつたことを示すものではない。更に、原告が被告に在職中完成した本件発明及びそれ以外の発明について、被告がそれらを特許法三五条所定の職務発明として取り扱つた事実があつたとしても、それはあくまでも被告社内における事務処理形式上のことであつて、そのことによつて職務発明でない本件発明が職務発明となるいわれはない。

2 本件発明の完成に至る過程

(一) ステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する研究開発経過

ガラス製マホービンは衝撃に弱く割れ易いが、これを金属製にすれば衝撃に強く割れない製品とすることができ、同じ金属の中でもステンレス鋼を用いれば、耐蝕性や強度の点でとりわけ優れた製品を製造することができる。そのため、マホービン業界では、かねてから国内の各ガラス製マホービンの製造メーカーとも、ステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発に食指を動かしていた。唯、ステンレス鋼がその内部から真空二重容器の内瓶(内容器)と外瓶(外容器)間に形成される空間部に各種のガスを放出するため、単にステンレス鋼に変換しただけでは同空間部の真空度が経時的に徐々に低下して高真空状態を保持できなくなり、製品の保温力や保冷力が減少するという欠点があつた。この欠点を克服してステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術を確立するためには、如何にしてこの放出ガスを排除し、同空間部の高真空状態を保持し、製品の保温力や保冷力の減少を食い止めるかが避けて通れない技術的課題の中核的問題となつていた。しかし、当時、国内のガラス製マホービンの製造メーカーは、ガラス製の内外瓶間の空間部を真空に排気処理する方法として、それまで伝統的に業界で慣用されてきた内瓶(内容器)と外瓶(外容器)を仮組立して二重容器とし、真空ポンプの排気効率を上げるためにこの二重容器全体を加熱しながら外瓶(外容器)の底部に設けた排気孔に立設したチップ管に真空ポンプを接続し、該チップ管から排気処理して二重容器内の空間部を高真空状態にし、その後チップ管を圧着切断して真空二重瓶とする製造方法(以下「チップ管方式」という。)しか知らなかつたから、ガラス製マホービンの製造メーカーにとつて、ステンレス鋼製マホービンにおける内外瓶間に形成される空間部の高真空状態をいかにして保持するかという技術的課題は全く未知の解決困難な問題であつた。また、ガラス製マホービンは、内瓶中の熱湯や氷等の内容物が外部に放射する輻射熱を遮断して保温力や保冷力を保持するため、内瓶の外表面ないし外瓶の内表面を銀メッキ処理する必要があり、業界ではその方法として伝統的に無電解銀メッキ処理の方法を慣用してきたのであるが、その当時当業者の技術常識としては、同方法ではステンレス鋼の表面に銀鏡層を形成しそこに銀メッキ処理を施すことは技術的に不可能であると考えられていた。そのため、ステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術を確立するには、内瓶の外表面ないし外瓶の内表面に銀メッキ処理を施す、新たなメッキ技法を開発する必要があり、この点も当時のマホービン製造メーカーにとつて、全く未知の解決困難な技術問題であつた。そして、これらの技術課題に加え、経営面でもステンレス鋼製マホービンを開発することは、ガラス製マホービン市場を同メーカー自身が侵食することにもなりかねないとの危惧感を各メーカーが抱いていたことから、被告を含む国内の各ガラス製マホービン製造メーカーは積極的にステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発を押し進めることを躊躇していた。そのような状況下において、昭和五一年頃からサーモス社及びアラジン社(いずれも米国法人)等の外国会社製造のステンレス鋼製マホービンが我が国に輸入販売され始めた。しかし、その小売価格は、容量一リットルの製品で、国内産のガラス製マホービンのそれが約二五〇〇円ないし三〇〇〇円程度であつた時代に一万六五〇〇円ないし一万四一〇〇円と非常に高価格であり、その市場性にはなお問題があつた。ところが、昭和五三年に入ると、国内でも日本酸素株式会社(以下「日本酸素」という。)がオールステンレス製真空二重構造のマホービンの開発に成功し、同社からOEM供給を受けた株式会社アクト・エル(現商号・株式会社アクト・トレーディング、以下「アルト・エル社」という。)がこれを発売し始めた。日本酸素は、元々ガラス製マホービンの製造メーカーではなかつたが、自社の保有する高真空技術や特殊溶接技術を利用して新たにマホービン業界に参入してきたものであり、同社の右ステンレス鋼製マホービンは、輻射熱を遮断するためアルミ箔を内瓶の外表面に巻き付け、真空処理には、真空炉内でステンレス鋼製真空二重容器の内瓶(内容器)と外瓶(外容器)の二重壁構造体の間に形成される空間部の排気をするとともに、外瓶(外容器)の底部に設けられた排気孔に被せられた排気孔蓋をろう材で溶融封止し、真空二重瓶とする製造方法(以下「真空炉方式」という。)を開発し、また、ステンレス鋼が二重容器の真空空間部中に放出する各種のガスを吸着し高真空状態を保持するためのゲッターとしてチタニウムを主成分とするものを使用していた。右製品の小売価格は、国内産ガラス製マホービンの当時のそれの約二倍程度と高めに設定されてはいたものの、被告らガラス製マホービンの製造メーカーとしても、そのまま座視していては同社のような後発参入メーカーに国内のマホービン市場を蚕食されると判断し、以上のような市場動向を睨んだうえ、日本酸素製造の右マホービンの発売時期とほぼ時を同じくして、ステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発に着手した。しかし、被告は、当時自社ではチップ管方式を超える真空技術の開発能力も製造設備も有していなかつたため、一時高度の真空技術を保有する大阪酸素工業株式会社と技術提携して開発を進めたものの、同社が製品の大量生産に消極的であつたことと、製品のコスト高の難点を克服できなかつたことから、昭和五五年四月頃、双方が両社共同の開発方針を断念し、結局これといつた成果もあげ得ないまま右技術提携は打ち切られた。そのため、被告では、この時期、右に述べた高真空技術とメッキ技法に関して新たに独自の自社技術を開発する必要が焦眉の急を告げていた。しかし、いずれの課題についても格別の成算がないまま事態が推移していた。

(二) 原告によるZr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッター「ST--七〇七」の発見と第二発明(高真空技術)の完成

原告は、若い頃からラジオ技術に興味があり、ラジオに用いられている真空管の内部に一般にゲッターと呼ばれるガス吸着材が使用されていることを知つていた。そこで、原告は、社内でステンレス鋼製マホービンの製造技術の研究開発陣が内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との二重壁構造体の間に形成される空間部の高真空状態を保持する方法の開発に難航頓挫していることを聞き及び、ゲッターに関する自己の知識をヒントに、ステンレス鋼がその内部から同空間部の真空中に放出する各種のガスを吸着する機能を発揮するゲッターを発見できるのではないかとの着想を得て、完全に個人的な興味と関心に端を発して、自発的にこのガス吸着機能を持つゲッターの研究に着手した。しかし、ゲッターは用途により多種多様な製品があり、当初はステンレス鋼製マホービンの製造に適したゲッターがそもそも存在するのか否かさえ全く見当もつかない状態であり、被告としても昭和五四年三月頃の時点では、「ゲッターに関して他社で適当なところを捜す事」といつた程度の漠然とした目標しか設定できない状況であつた。しかし、原告は、研究を進めるうちに外国の技術文献によつてゲッターについてはヨーロッパ諸国、特にイタリアが先進国であることを知り、同年四月頃、イタリアのゲッターメーカー・サエスゲッターズ社(以下「サエス社」という。)の東京事務所を訪れ、同社から当時一番先進的な製品とされていた「ST--一〇一」と呼ばれていたゲッターを取り寄せ社内でテストをしたが、同ゲッターは、活性化温度が摂氏約九〇〇度と高く、チップ管方式により前記二重壁構造体全体を加熱しながらその空間部を排気処理する場合、<1> 同ゲッターを活性化するために前記二重壁構造体全体を摂氏約九〇〇度以上に加熱すると、ステンレス鋼が摂氏約六五〇度以上の加熱により材質が変化し、固有の特性である耐蝕性や強度が落ちるという性質があるため、技術上問題があるだけでなく、<2> チップ管の材質は銅であり、これをステンレス鋼製二重壁構造体の底部の排気孔に融点の高い銀ろうを用いて溶接しているのであるが、摂氏約九〇〇度以上の高温で前記二重壁構造体全体を加熱すると、このチップ管の溶接銀ろうが溶融し、排気処理の際に高真空状態を達成できないなどの点で製品に悪影響を及ぼし、<3> このように、ゲッターの活性化と高真空状態の形成とを同時に行うことができないため、実際の量産工程では一旦内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との二重壁構造体の間に形成される空間部を排気処理して高真空状態にし、その後改めてゲッターの取付部分のみを再度加熱処理するという二重手間がかかり、工程面で大量生産にも不向きであるという欠点があることが明らかになつた。そうこうするうち、昭和五五年初め頃、かねて知己であつたサエス社のロザイ博士が原告に対し、同社が既に同年一月二四日アメリカで特許出願済みの活性化温度が摂氏約五〇〇度のZr--V--Fe(ジルコニウム・バナジウム・鉄)三元合金系非蒸発性ゲッター「ST--七〇七」を新たに開発したとの情報を漏らしてくれた。その当時、同ゲッターは一般には未だ全く知られておらず、同ゲッターの学会における発表も昭和五六年四月になつてからのことであつた。原告は、この情報に接し直感的に同ゲッターをステンレス鋼製マホービンの製造に利用できるのではないかと考え、当時は未だ試作品の段階にあつた同ゲッターをイタリアから取り寄せて社内でテストしたところ、ガスの吸着速度が速く、ステンレス鋼がその内部から真空中に放出する各種のガスを包括的に吸着し、かつ、活性化温度が摂氏約四五〇度とゲッター「ST--一〇一」と比べてかなり低温であるうえ、開発元のサエス社自身全く予測もしていなかつたことであつたが、従来一般にゲッターは大気に晒せば水分を吸収し、その性能が落ちるとされていたのであるが、Zr--V--Feの三元合金系非蒸発性ゲッター「ST--七〇七」の場合は、水に漬けてもあるいは銀で被覆してもその性能に変化のないことが判明した。その結果、同ゲッターを使用すれば、チップ管方式により内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との二重壁構造体の間に形成される空間部を加熱しながら排気処理し高真空状態にする場合、<1> 同空間部の高真空状態の形成と同時に二重容器内に接着されたゲッターを加熱処理して活性化することができ、ステンレス鋼製マホービンの製造工程が大幅に簡略化され生産性も向上すること、<2> ステンレス鋼をその固有の特性である耐蝕性や強度を損わずに加熱処理できること、<3> しかも、その際チップ管の溶接ろう材が溶融するといつた問題も生じないこと、<4> 銀メッキとの関係でも、銀は大気圧下では摂氏約九二〇度で融解し、真空に近いほどその融点は下がるが、同ゲッターを摂氏約四五〇度に加熱して活性化しても銀メッキには全く影響がないこと、<5> ゲッターを装着したままでの銀メッキ処理とチップ管を介しての排気処理とができること、<6> 更に、ゲッターを装着した部品を大量に大気中に保管することができるから、組立の迅速化と大量生産が可能となることなどの技術的利点があることが明らかになつた。このように同ゲッターをステンレス鋼製マホービンの製造に利用することは、開発元のサエス社自身全く思いも及ばなかつた、原告が個人的に独自に獲得し得た独創的な技術的思想の創作である(なお、同ゲッターは当初薄板状のものであつたが、原告の進言によりその後幅約五ミリメートルの錠剤状のものに変更され、また、昭和五七年八月の時点で商品試験所の研究成果により同ゲッターの能力保持期間が約一〇年であることも技術的に裏付けられた。)。以上の経過により、原告は、第二発明の願書添付明細書の特許請求の範囲1項ないし5項記載の名発明を完成した。そして、被告は、新製品のステンレス鋼製マホービンの製造方法として、第二発明を利用し、真空処理にはチップ管方式を採用し、内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との二重壁構造体の間に形成される空間部の高真空状態の保持処理には、Zr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッター「ST--七〇七」を導入することに決定した。しかし、問題はまだ残つていた。すなわち、従来ガラス製マホービンは、輻射による熱損失を防止するため内瓶の外表面ないし外瓶の内表面のガラス表面に銀メッキ処理を施していたのであるが、ステンレス鋼製マホービンの場合、内瓶の外表面ないし外瓶の内表面のステンレス鋼の表面に直接銀鏡メッキ層を形成しようとしても、それまで被告がガラス製マホービンの製造に際し利用していた無電解銀メッキ法では、ステンレス鋼の表面に銀鏡メッキを施すことができず、中瓶課等被告の研究開発陣の必死の努力にもかかわらず、無電解銀メッキ法による内瓶の外表面ないし外瓶の内表面のステンレス鋼に対する銀メッキ技法はなかなか開発できない状態が続いていた。そのため、被告は、結局、新製品のステンレス鋼製マホービンのメッキ処理に無電解銀メッキ法を採用することを諦め、電解銀メッキ法を採用することに決定した。その結果、被告は、昭和五六年初め頃から<1> 真空処理にはチップ管方式を、<2> 高真空状態の保持処理にはZr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッター「ST--七〇七」を、<3> 内瓶の外表面のステンレス鋼に対する銀メッキ処理には電解銀メッキ法をそれぞれ採用した、新製品のステンレス鋼製マホービン(商品名ステンレスサーモス「タフボーイSTA--九〇〇」)の製造に着手し、同年八月頃、同製品を新製品発表会において公表し、同製品は完全に被告の自社技術を用いた画期的新製品として、業界でも高く評価された。

(三) 原告による第一発明(銀鏡メッキ技法)の完成

被告は、当時電解銀メッキ処理に関する自社技術も製造設備も持つていなかつたため、前記新製品ステンレスサーモス「タフボーイSTA--九〇〇」のメッキ処理を外注に頼らざるを得なかつたが、電解銀メッキ法の場合はステンレス鋼表面への銀の付着率が高かつたため、電解銀メッキのコストは、一リットル容量瓶で約五〇〇円と製品全体の製造コスト約二〇〇〇円の約二五パーセントも占め、原価計算上コスト高を免れることができないばかりでなく、月に何十万本もの製品を生産するとなると、安定して製品の供給を受けることができる外注先を見つけることが可能か否かも予断を許さない状況にあつた。そこで考えられたのが銀の代りにコストの低い銅を用いた電解銅メッキ法であつたが、これを外注に頼らざるを得ず、この方法により大量生産を開始しようとした矢先に外注の下請協力工場の社長が急死して、その道も閉ざされるに至つた。また、被告は、昭和五七年春頃、ガラス製マホービンについては、従来の設備の老朽化を理由に自社生産を中止し、植村魔法瓶工業株式会社との合弁会社で製品を製造し、これを被告のブランド名で販売することになつた。そして、被告は、その頃、従来ガラス製マホービンの製造に使用してきた自社の無電解銀メッキ処理用の諸設備を廃棄する方針を打ち出したため、社内ではそれまでその部門に就労していた従業員らの配置転換等の問題が発生し、社員の間に先行きへの不安が募つていた。原告は、そうした状況を見て、何とか廃棄寸前の従来の無電解銀メッキ処理用の諸設備を再利用してステンレス鋼製マホービンを製造できないものかと考え、第二発明の場合と同様に完全に個人的な興味と関心に端を発して自発的に従来のガラス製マホービンの内瓶の外表面の銀メッキに利用されていた無電解銀メッキ処理の諸設備を使用してステンレス鋼の表面に銀鏡反応を起こすことができるのではないかとのアイデアをヒントに研究を進めた結果、ステンレス鋼の表面素地をそのままの状態にしてそこに銀鏡反応を起こすことは不可能であるが、ステンレス鋼の表面素地を焼成して適度に酸化することによつて、そこに酸化第二鉄からなる被膜を形成し、この酸化被膜上にであれば銀鏡層を形成することが可能であるとの新たな知見を得た。この知見によれば、ステンレス鋼製マホービンの場合にも、従来のガラス製マホービンの場合と同様に、無電解銀メッキをすることができ、この製造方法を採用した場合の銀メッキ処理のコストは、一リットル容量瓶で約四〇円と、電解銀メッキ処理法を採用した場合のそれの約一〇分の一以下の安価に抑えることができるだけでなく、メッキ処理を外注に頼る必要もなく、さしたる新規の設備投資も要しない。そのため、被告は、従来のガラス製マホービンの無電解銀メッキ工程に使用してきた人的・物的社内設備を再利用してステンレス鋼製マホービン製品を安定して大量生産することが可能になつたのである。以上の経過により、原告は、第一発明を完成した。

3 まとめ

以上によれば、原告は、完全に個人的な興味と関心に端を発して、自発的に本件発明を完成したものであり、本件発明を完成するに至つた行為は商品試験所所長の地位にあつた原告の職務に属さず、原告が職務の遂行として本件発明を完成したものでないことは明らかである。したがつて、本件発明は特許法三五条所定の職務発明には該当しない。

【被告の主張】

本件発明はその性質上被告の業務範囲に属し、かつ本件発明をするに至つた行為は被告における原告及び田口の職務に属していたから、本件発明は特許法三五条所定の職務発明に該当する。詳細は次のとおりである。

1 原告の職務範囲

原告は、本件発明当時、被告の商品試験所所長の地位にあつた。商品試験所は、昭和四七年五月、被告における製品開発及び品質管理等を目的として社内に新設された部署であり、その職務範囲は、被告の職務分掌規定に、次のとおり定められている。

1 自社新製品・改良品の商品性試験評価及び経常生産後の不定期品質確認試験評価

2 他社製品の性能試験評価

3 原価低減の為の材料部品の試験評価

4 関係部室の依頼にもとづく製品、部品、材料等の試験評価

5 諸試験結果に関する関係部室への情報提供

6 諸試験結果に関する資料の整理並びに保管

7 モニター制度の運用及び管理

8 所内試験機器の保守及び管理

したがつて、ステンレス鋼製マホービンのような新製品の製造方法に関する基礎技術の研究開発及び発明が、原告及び田口ら商品試験所勤務の従業員の重要な職務の一つであつたことは明らかである。そして、被告は、マホービン及びマホービン用中瓶を始め家庭用電気器具及び業務用厨房器具等の製造、加工及び販売等を目的とする株式会社であるから、被告の従業員は、その所属部署の如何を問わず常日頃から被告製品及びその製造技術に関して発明や考案をしている。原告もその例外ではなく、原告は、被告に在職中、被告の事業に関し、他の従業員と共同であるいは単独で発明や考案をし、その発明等につき特許等を受ける権利を被告に承継させ、被告が出願人として、特許出願又は実用新案登録出願してり、その件数は本件発明を含め合計一九件に達している(拒絶査定分を含む)。そして、被告は、右出願に伴い、社内で制定している被告発明考案取扱規定に基づき、原告に対し、本件発明分を含み、出願権譲渡補償金として合計一九件分八万三九〇〇円を、登録補償金として九件分合計一七万八〇〇〇円を支払つた。なお、本件発明の共同発明者である田口の被告における職歴は、昭和五一年二月二三日商品試験所係長心得、昭和五五年二月二一日同係長、昭和五八年二月二一日大阪工場特品二課勤務というものであり、この点からも本件発明が原告及び田口の被告における職務遂行上されたものであることが裏付けられる。

2 ステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発

(一) 被告は、昭和五三年頃からステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発に着手したが、その手始めとして、商品試験所は、同年三月一六日付でチップ管方式によつて製造された米国サーモス社製ステンレス鋼製マホービンを分解分析し、その品質評価に関する報告書を提出した。

(二) 被告は、昭和五四年二月二七日、社内でステンレスマホービン基本方針検討会議を開催した。この会議には社長以下各部門長に加えて商品試験所長であつた原告も出席し、それまでの社内におけるステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する検討結果について報告があり、討議の結果、ステンレス鋼製マホービンの商品化の方針を決定した。右会議の報告書三頁には、「ゲッターに関して他社で適当なところを捜す事」との記載がある。

(三) 被告は、昭和五四年三月九日、社内でステンレスポット基礎実験打ち合せ会議を開き、原告もこれに出席した。被告は、この会議でチップ管方式で新製品のステンレス鋼製マホービンを製造することを決定した。右会議の報告書には、「ゲッター及び充填物の調査(中略)商品試験所」との記載がある。

(四) 被告は、昭和五四年三月一五日、ステンレスポット打合せを開き、ステンレスポットの商品化に当たり、試作品作成の下打合せ及びその日程を検討し、原告も出席した。この間、輻射熱対策として、シールド板、銀鏡メッキ(ガラス質層の上に銀鏡メッキをするZ方式)、電解メッキ(EP方式)などを並行して検討した。右打合せの報告書一頁には、「ゲッターは末置き型とする。」との記載がある。

(五) 被告は、昭和五五年四月八日、ステンレスポット打合せを開き、原告も出席した。席上、原告は、サエス社製の新開発ゲッターに関する詳細な技術情報を報告した。右打合せの報告書二頁には、「新開発ゲッター(サイエス社)四〇〇~五〇〇度シーで六〇~七〇パーセント活性化→三容(被告の協力工場、被告注記)より日立製作所マグネトロン工場に問合せ中」との記載がある。

(六) 被告は、昭和五五年五月二三日、原告も出席してステンレスポット進行方法打合せを開催した。この打合せで、ゲッターとして非高温ゲッター(ST--七〇七)の使用が検討された。

(七) 被告は、昭和五五年八月一九日、原告も出席してステンレスポット方針決定会議を開催した。この席で、銀鏡メッキ法(ガラス質層の上に銀鏡メッキをするZ方式)、電解メッキ法(EP方式)のいずれの方式を選択するかを検討し、結論として、EP方式でスタートしZ方式は研究を続行するとの方針を決定した。

(八) 商品試験所は、昭和五六年七月以降非高温ゲッター(ST--七〇七)を使用したステンレスサーモスの製品寿命推定の研究をした。

(九) 原告は、昭和五七年二月、被告の社命によりイタリア国ミラノ市所在のサエス社本社へステンレス鋼製マホービンの寿命予測の技術討議のために海外出張している。

3 まとめ

以上の被告社内における原告の履歴と職務内容及びステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発経過に照すと、当時右研究開発は被告社内において商品試験所を含めた新製品開発部門全体の抱える技術的課題となつていたのであり、原告がその職責上これに深く関与していたことは明らかである。また、右研究開発経過からみて、研究開発の基本方針は、当初から一貫して非高温排気処理が可能なチップ管方式の採用を前提としたものであり、この基本路線上で輻射熱防止対策(メッキ技法)及び真空度低下防止対策(最適ゲッターの採用)が検討されていたのである(原告の主張するようにサエス社製の新開発ゲッターST--七〇七がなければチップ管方式自体が採用できなかつたなどと考えるのは誤りである。)。したがつて、本件発明が特許法三五条所定の職務発明であることは明らかであつて、右研究開発の成功について、原告一個人のみの功績であるかの如くことさら取り上げて云々すべき筋合のものではない。なお、原告は、本件発明が原告の独自の独創的技術的思想の創作である旨再三強調するが、それが仮に事実であるとしても、それは原告が本件発明の発明者であることを示すにすぎず、被告は本件訴訟でそのこと自体を争つているわけではないから、原告の主張事実は本件発明が職務発明であるか否かを決する上で格別の意味を持つものではない。

二  争点2(被告は第二発明を実施したか)

【被告の主張】

<1> 被告は、昭和五六年初め頃から昭和六二年末までの間、メッキ処理に電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法を、真空処理にチップ管方式を用いた別紙被告方法目録{1}記載の製造方法(以下「被告方法{1}」という。)により、ステンレス鋼製マホービン約五〇〇万本を製造した。

<2> 被告は、昭和五八年一月から昭和六二年末までの間、右<1>の製造と併行して、メッキ処理に銀鏡メッキ法を、真空処理にチップ管方式を用いた別紙被告方法目録{2}記載の製造方法(以下「被告方法{2}」という。)によりステンレス鋼製マホービン約四八〇万本を製造した。

<3> 被告は、昭和六二年六月頃以降現在まで、内瓶のメッキ処理に銅箔巻法を、真空処理にチップ管方式を用いた別紙被告方法目録{3}記載の製造方法(以下「被告方法{3}」といい、被告方法{1}ないし{3}をまとめて「被告方法」という。)によりステンレス鋼製マホービンを一〇〇〇万本以上製造している。なお、被告方法{3}は、保温性能が向上すること及び製造工程が極めて簡単であり、生産性が良く、安価に製造できることなどの理由により、昭和六三年初めからはすべてのステンレス鋼製マホービンを右方法により製造している。

したがつて、被告は、第一発明については、右<2>のステンレス鋼製マホービンの製造に際してはこれを実施したが、<1>及び<3>のステンレス鋼製マホービンの製造に際してはこれを実施していない。すなわち、特許請求の範囲に記載のとおり、第一発明はステンレス鋼製真空二重容器において、内瓶(内容器)の外表面に形成する酸化皮膜上に銀鏡層を形成することを必須の構成要件としているが、右<2>のステンレス鋼製マホービンは、製造工程において内瓶(内容器)の外表面に形成する酸化皮膜上に銀鏡層を形成しているから、第一発明の実施品といえるが、その他の<1>及び<3>のステンレス鋼製マホービンは、電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法により内瓶(内容器)の外表面に銀又は銅メッキを施すか(<1>)、内瓶(内容器)の外表面にゲッターを包持した銅箔を巻き付けて(<3>)製造した製品であつて、内瓶(内容器)の外表面に形成する酸化皮膜上に銀鏡層を形成していないから、第一発明の実施品とはいえない。

また、第二発明については、被告はこれまで実施したことはない。すなわち、第二発明は特許請求の範囲に記載のとおり、「二重容器を構成するステンレス鋼製の一部品の空間部形成面にZr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッターを装着し、該部品を他の部品と共に溶接して二重容器とな」す工程と「次いで該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」工程とを経時的に連結するものであり、先にゲッターを装着した二重容器構造体を製造し、その後この二重容器構造体に化学銀メッキ処理を施すことをその特徴としている。しかし、かような製造方法では、量産工程の途中において、銀鏡メッキが正しく行われ、内瓶(内容器)の外表面に銀メッキ処理が確実に施されたか否かを目視検査によつて確認することができず、したがつて、メッキ処理不良は排気処理後の保温検査の段階に至つてようやく保温不良品として発見されることになるが、その時点ではもはや製品の手直しは困難であるから、不良品は廃棄処分せざるを得ず、完成品中の不良品混入率が高くなるという欠点を免れ難い。そこで、被告は、試作段階で第二発明の実施を諦め、現実の量産工程では、<1> 内瓶と外瓶の胴体とを口部で溶接する、<2> 外瓶の胴体にメッキ液注入管(排気管)付の仮底をセットする、<3> 先に銀鏡メッキ処理を施す、<4> その後仮底を外して内部のメッキ具合を目視検査により確認する、<5> その後ゲッターを装着したチップ管のある本底を外瓶に溶接する、<6> 排気処理するという各工程をこの順序で順次経る製造方法を採用した。

原告は、ステンレス鋼製マホービンの製造工程において、銀メッキに先立つてゲッターを装着せずに先に銀メッキ処理をした上で、その後ゲッターを装着したとしても、第二発明を実施したことに変りはない旨、あるいは、ゲッターST--七〇七と無電解銀メッキ法を保温機能の構成として採用した以上、第二発明を実施したことになる旨主張するが、右原告主張は、第二発明の特許請求の範囲の記載の経時的要素を全く無視するものであり、いずれも失当というべきである。

【原告の主張】

第一発明と第二発明は銀鏡メッキ処理の構成(第一発明)において重なり合う。したがつて、第二発明を利用することは、必然的に第一発明を利用するという関係にある(以下において「併用」というのはそのような意味である。)。被告は、昭和五八年一月頃から昭和六三年一月頃までの間に、本件発明を併用して少なくとも合計一五〇〇万本のステンレス鋼製マホービンを製造販売した。このことは、この間に、被告は、サエス社から千数百万個のゲッターを購入していることからも推測できる。仮に被告がある時点以降内瓶の外表面に銀鏡メッキ処理を施した後にゲッターST--七〇七を装着した部品を取り付ける製造方法を採用したとしても、それはゲッターST--七〇七を装着したうえで銀鏡メッキ処理ができるという第二発明の作用効果の一部を享受していないのみで、その余の第二発明の作用効果は全て享受しているものといえる。そうすると、被告の製造販売するステンレス鋼製マホービン製品には多くの型式と種類があるとしても、ゲッターST--七〇七を使用している点では全ての製品が共通しているから、被告の製造販売するステンレス鋼製マホービン製品である限り、全て第二発明を利用しており、その結果、被告は、右被告製品全部について第一発明を併用していることになるから、被告は、本件発明をいずれも実施したものといえる。

被告は第二発明を実施していない旨主張するが、右主張は誤りである。すなわち、サエス社製の新開発ゲッターST--七〇七を、ステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との間に形成される空間部の真空中へステンレス鋼が放出するガスの吸着材として使用することは、開発者のサエス社自身全く思いも及ばなかつた原告の独創的な技術的思想の所産であり、それ自体において産業上利用可能な新規性のある技術的思想である。また、保温機能の構成においてゲッターST--七〇七と無電解銀メッキ法を組み合わせた点についても全く同様に言うことができる。したがつて、たとえ被告主張のようにステンレス鋼製マホービンの製造工程においてゲッターST--七〇七を装着せずに銀メッキを施したうえで、その後ゲッターST--七〇七を装着したとしても、第二発明を実施したことに変りはない。

三  争点3(相当な譲渡対価額)

【原告の主張】

1 結論

仮に本件発明が特許法三五条所定の職務発明に該当するとすれば、被告は、原告から本件発明について特許を受ける権利を承継して特許出願し、登録査定を受けて本件特許権を取得したのであるから、原告に対しその権利譲渡につき相当の対価を支払わなければならない。そして、特許を受ける権利の譲渡の相当の対価(特許法三五条三項)の額を定めるに当たり考慮しなければならない「使用者が受けるべき利益」(同条四項)とは、発明の実施により見込まれる利益を指すのではなく、発明の実施を排他的に独占し得る地位を取得することにより受けることになると見込まれる利益を指すものと解すべきであり、特許を受ける権利を従業者から譲り受けて、これにつき権利を得た使用者が、この発明を他者に有償で実施許諾をして実施料を得た場合、右実施料は、職務発明の実施を排他的に独占し得る地位を取得したことにより初めて受け取ることのできた利益であるから、この額を基準に使用者の貢献度やその他の事情を総合考慮して相当な譲渡対価額を算定することには充分な合理性があるものというべきである。そして、そのような観点から本件において権利譲渡により原告の取得すべき相当な対価額を計算すると、その金額は一億五〇〇〇万円となる。詳細は次のとおりである。

2 被告が本件発明の実施を排他的に独占し得る地位を取得したことにより受けることになると見込まれる利益

被告がステンレス鋼製マホービンの製造販売を開始したとしても、マホービン業界において他のメーカーがガラス製マホービンの製造販売を完全に廃止するわけではない。因みに、昭和五八年から昭和六一年までの間の市場全体のガラス製マホービンの生産量は、ステンレス鋼製マホービンの生産量の約二・五ないし三倍に達しており、その製造工程は、依然として従来と同様のチップ管方式による真空工程と無電解メッキ処理工程を用いていたのである。そして、被告も、昭和五七年一二月頃から、本件発明を併用してステンレス鋼製マホービンの製造販売を開始したが、仮に被告が本件発明を独占し得ていなかつたとした場合、タイガー魔法瓶株式会社(以下「タイガー魔法瓶」という。)等の同業他社は、当時、ガラス製マホービンの製造販売をなお継続していたのであるから、ステンレス鋼製マホービンの製造に本件発明を利用することになり、被告がマホービン市場においてその優越的地位を確保し得なかつたことは明らかである。すなわち、当時、ガラス製マホービンの市場占有率は、被告が約四八パーセント、タイガー魔法瓶が約四二パーセント、その他の中小メーカーが約一〇パーセントという状態にあり、しかも、当時タイガー魔法瓶を始めとする同業他社は技術的にはチップ管方式により本件発明を直ちに実施し得る体制にあつた。したがつて、もしタイガー魔法瓶が単独で、あるいは他の中小メーカーと一緒になつて本件発明を実施し、一斉にステンレス鋼製マホービンを製造販売したと仮定した場合、被告と同等若しくはそれ以上のステンレス鋼製マホービンを生産することは十分に可能であつた。ところが、本件発明についての特許を受ける権利は独占的に被告に帰属していたから、同業他社としては、本件発明を実施したくとも、被告の許諾を得ない限り、他の方法を採用せざるを得なかつたのである。因みに、タイガー魔法瓶が、ステンレス鋼製マホービン生産のため、日本酸素と提携して直系の下請会社に真空炉を設置したのは、被告が本件発明を併用してチップ管方式によりステンレス鋼製マホービンの生産を開始した昭和五七年一二月から遅れること約二年後の昭和五九年一〇月からであり、同社は、その時点でようやくそれまでの日本酸素の製造した製品のOEM販売から脱却して、電解銅メッキ法により生産した自社製品の販売を開始したのである。そして、この間、被告は本件発明の実施を排他的に独占し得たのである。

そこで次に、このようにして被告の享受し得た本件発明の独占的利益の経済的価値を「国有特許権実施契約書」の実施料算定方法により算定すると、次のとおりである。すなわち、同契約書によれば、実施料率は、「基準率×利用率×増減率×開拓率」の算式で算定することとされている。そして、本件発明を利用した被告製品の販売価格を基礎とする場合、本件発明の実施価値は実際にはもつと高いのであるが、控え目にみて本件発明を同契約書にいう「実施価値下のもの」とみると、基準率は二パーセントとなり、利用率、増減率及び開拓率はいずれも一〇〇パーセントとみるのが相当であるから、実施料率は、結局、被告製品の販売価格の二パーセントとなる。そうすると、昭和五八年から昭和六一年までの間の被告のステンレス鋼製マホービンの被告製品の販売売上総額は少なくとも三〇〇億円(平均販売単価二〇〇〇円×販売本数一五〇〇万本)を下らないから、この間の本件発明の実施料額は、次の算式のとおり、右販売総計額三〇〇億円に二パーセントを乗じた六億円と算定され、これが被告の享受し得た本件発明の独占的利益の経済的価値である。

2、000×15、000、000×0・02=600、000、000

3 被告が支払うべき相当な譲渡対価額

本件発明は、ステンレス鋼製マホービンの根幹機能である保温・保冷機能に係る独自の技術的思想の創作であり、被告は、これにより低コストでしかも大量生産及び安定生産が可能なステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する自社技術を確立し、競業メーカーに先んじて売上及び利益の増大をはかることができ、その結果、業界における優越的地位を確保し得たのに対し、原告は、本件発明を完成したことによつて被告から格別便宜供与や人事面での厚遇を受けることもなく、昭和五八年には商品試験所所長の地位から当時新設されたばかりでこれといつた仕事もない調査役の閑職に追いやられ、定年(六〇歳)を待たずして五五歳で被告を退職するのやむなきに至つたのである。したがつて、以上の諸事情を総合考慮すると、本件発明の共同発明者である原告及び田口の貢献度は五〇パーセント、被告の貢献度も五〇パーセントとみるのが相当であるから、原告の取得分は二五パーセントとなる。そうすると、原告の取得すべき本件発明の相当な譲渡対価額は、次の算式のとおり前記実施料額六億円に二五パーセントを乗じた一億五〇〇〇万円となる。

600、000、000×0・25=150、000、000

2 被告主張に対する反論

(一) 被告製品の生産量に関する主張について

被告は、昭和五八年一月頃から昭和六三年一月頃までの間に約一一〇〇万本のステンレス鋼製マホービンしか製造販売していない旨主張する。しかしながら、この間の被告のステンレス鋼製マホービンの生産能力は少なくとも年平均で約三〇〇万本程度あつたものとみられ、当時ステンレス鋼製マホービンのブームが続いていたのであるから、被告も生産能力一杯の生産を継続していたものと考えられ、少なくとも合計約一五〇〇万本(三〇〇万本×五年)の製品を生産したと推測でき、したがつて、被告主張の製造販売本数は到底信用し難い。

また、被告は、右約一一〇〇万本の被告製品のうち、第一発明を実施したのは約四八〇万本であり、その余の約六二〇万本は電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法を採用して製造した製品である旨、また被告は第二発明を全く実施していない旨主張する。しかしながら、前記したとおり、製品一本当たりのメッキ処理コストは、無電解銀メッキ法の場合が約四〇円であるのに対し、電解銀メッキ法の場合は約五〇〇円であり、しかも被告は無電解銀メッキ法のメッキ処理設備を現に保有していたのであるから、途中からわざわざ外注によつてコストの高い電解銀メッキ法を採用して製品を製造するものとは考え難い。また、電解銅メッキ法については、前記したとおり、この方法を採用した製品の大量生産の計画が外注先の社長の急死によつて頓挫し、その結果、原告が第一発明を完成したのであるから、今更被告において電解銅メッキ法を採用する必然性は全くない。したがつて、被告の右主張は到底承服し難い。

(二) 第一発明の技術的価値に関する主張について

被告は、第一発明は、真空炉方式との関係では、ろう材の溶融温度が銀の溶融温度を超えるから採用し得ない旨主張する。しかし、それは溶融温度の低いろう材を採用することによつて解決可能な技術的問題にすぎない。また、その点の技術的可否の結論がいずれであるにせよ、競業メーカーがステンレス鋼製マホービンの製造に当たり、真空処理は真空炉方式により、メッキ処理は電解銅メッキ法によらざるを得なかつたのは、被告の主張するような技術的問題が原因ではない。前記したとおり、当時、競業メーカーは、技術的にはチップ管方式により本件発明を実施し得る体制が整つていたのであるが、本件発明について特許を受ける権利が被告に独占的に帰属しており、被告の許諾を得ない限り、本件発明を実施し得ず、そのため他の製造方法を採用せざるを得なかつたのである。

(三) Z方式に関する主張について

被告は、第一発明は、被告において第一発明に先行して開発を進めていた社内でZ方式と称されていたステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)の外表面のメッキ技法を採用した試作品の製作過程で偶々見い出されたものであり、チップ管方式による排気処理(真空工程)と無電解銀メッキ法による銀メッキ処理(メッキ工程)の同時実施という被告における従来の技術的系譜の延長線上にある発明である旨主張する。しかしながら、ステンレス鋼製マホービンの内瓶の外表面の銀鏡メッキ処理に際し、ステンレス鋼の表面にガラス質層を形成し、その表面に銀鏡メッキ処理を施すZ方式は、ガラス製マホービンの場合と同じくガラスの表面に銀鏡メッキ処理を施すことを指向している。したがつて、その意味で、Z方式は、業界で伝統的に慣用されてきた銀メッキ技法である「ガラスびん的銀付け」の範囲に留るものである。これに対し、第一発明の銀メッキ技法は、ステンレス鋼の表面を直接焼成することにより、そこに銀鏡メッキ処理することを可能にしたものであり、その指向するところは、伝統的な「ガラスびん的銀付け」(Z方式)とは比べものにならない全く別異で新規の技術的思想であつた。したがつて、第一発明の銀メッキ技法はZ方式とは何らの関連性もない。

被告は、昭和五五年八月一九日当時、EP方式(電気メッキ法)によるステンレス鋼製マホービンの量産開始を決定し、Z方式については研究をなお続行し、将来EP方式からこれに切り替えることもある旨を決定した。しかし、被告は、その後現実にはZ方式の研究を続行していないし、Z方式関係で取得した各特許を実施していない。原告も同様にその後Z方式の研究を続行していない。これらのことからすると、Z方式は、EP方式採用の時点で、実際には既に実用に適しないことが歴然としていたのであり、その結果、EP方式が採用されたものとみるべきである。したがつて、第一発明は、Z方式の研究続行の過程の知見により創作されたものとはいえない。

更に、前記したように、被告は、昭和五七年春頃、ガラス製マホービンについては、従来の設備の老朽化を理由に自社生産を中止し、植村魔法瓶工業株式会社との合弁会社で生産し、従来ガラス製マホービンの製造に使用してきた自社の無電解銀メッキ処理設備を廃棄する方針を打ち出したため、社内でそれまでその部門に就労していた従業員らの配置転換等の問題が発生し、社員の間に先行きの不安が募つていた。原告は、そうした状況を見て、何とか従来の無電解メッキ処理の諸設備を再利用できないものかと考え、実験を重ね試行錯誤の末、ステンレス鋼製マホービンに対する無電解銀メッキの技法に関する独自の技術的思想(第一発明)を創作するに至つたのである。このような同発明の契機、経過及び時期等から見て、同一発明がZ方式と関連性を有しないことは明らかである。

(四) 第二発明の特許権取得により被告の得た独占的利益について

被告は第二発明を実施していない旨主張するが、仮に被告主張のとおりであるとしても、被告は本件発明を独占し競業メーカーがこれを実施することを阻止し得たのであり、そのことによつて独占的利益を享受し得たことに変りはない。なお、本件発明は、米国、ドイツ、英国及び台湾でも特許出願されている。

【被告の主張】

被告は、本件発明について、被告発明考案取扱規定に基づき、原告に対し、出願権譲渡補償金及び登録補償金を既に支給済みであり、また、実施済みの第一発明についての実績補償金についても既に弁済供託済みであつて、これらの各補償金額は特許法三五条三項にいう「相当な対価」というべきであるから、被告にはこれを超えて本件発明について原告に対価を支払うべき義務はない。詳細は次のとおりである。

1 被告発明考案取扱規定の内容

被告発明考案取扱規定には次のとおりの定めがある。

(発明考案委員会)

第五条 補償は発明考案委員会の審議を経て社長決裁後に行うものとする。

<2> 発明考案委員会の構成ならびに運営は別に定める。

(補償の種類)

第六条 補償は次の三種類とする。

(1) 出願権譲渡補償

(2) 登録補償

(3) 実績補償

(譲渡補償)

第七条 出願権譲渡補償は出願決定後、次の区分によつて三〇日以内に一定額を支給する。

(1) 特許権 毎件一〇、〇〇〇円

(以下略)

(登録補償)

第八条 登録補償はその工業所有権を取得してから三〇日以内に次の区分によつて一定額を支給する。

(中略)

(1) 特許権 毎件四〇、〇〇〇円

(以下略)

(実績補償金)

第九条 会社の所有となつた工業所有権の運用または実施によつて会社が附加利益を得たと確認または認定されるものについて、発明またはその運用あるいは実施の業務を主管する部長の申請があれば毎年一回審査のうえ、相当の実績補償金を支給する。

第一〇条 特許法第三五条によつて会社が実施権を有する工業所有権を実施して利益を得た場合は、第九条(乙第二号証に第一一条とあるのは第九条の誤りである。被告注記)に準じて実績補償を行う。

2 被告発明考案取扱規定に従つて計算した各補償金額

(一) 出願権譲渡補償金及び登録補償金の支給

被告は、本件発明(いずれも発明者数は二名)に関し、被告発明考案取扱規定の前記各条項に基づき、原告に対し、出願権譲渡補償金五〇〇〇円宛及び登録補償金二万円宛を支給した。

(二) 実績補償金の計算根拠

(1) 被告における本件発明の実施品

本件発明のうち被告が実施したのは第一発明のみであり、その実施期間及び実施品の種類は、昭和五八年一月から昭和六二年末までの間、銀鏡メッキ法を用いて製造したステンレス鋼製マホービンに限られる。原告は、第二発明についても対価の支払を求めているが、被告はこれを実施していないのであるから、同発明について原告に実績補償金を支払う理由はない。

(2) 第一発明についての実績補償金額

第一発明の実施品の製造販売本数は合計約四七〇万本であるが、第一発明の出願公開日は昭和五九年三月一日であるので、原告の取得すべき実績補償金額の算定に当たつては、同日以降製造の実施品の本数である約四〇〇万本を基礎として計算すべきである。そして、従来の電解銅メッキ法と第一発明を実施した銀鏡メッキ法とのコストの差は製品一本当たり三二円五〇銭であるから、これにいわゆる実施料額算定についての純利益四分説(特許発明の実施行為により得ることができる利益を、資本、労働力、特許発明自体の価値等の利益に貢献する四つの要因に分配する考え方)を適用すると、製品一本当たりの実施料単価は八円となる、したがつて、第一発明の収入実績は、右実施料単価八円に実施対象本数四〇〇万本を乗じた三二〇〇万円となる。

以上により、被告は、発明考案委員会の審議を経て社長決裁により、原告に支給すべき第一発明の実績補償金額を「国家公務員の職務発明に対する補償金支払要領」(五五特総第七三七号・昭和五五年七月二四日)第三条第一項に準じ定めた。すなわち、同要領によると、国の収入実績が一〇〇万円を超える金額については右補償金額は左記算式により算定することとされている。

(当該収入実績-100万円)×100分の5+18万円

したがつて、被告における第一発明の実施分について、右算式に従つて計算すると、実績補償金額の総計は左記計算式のとおり一七三万円となり、第一発明の発明者は二名であるから、結局、原告の取得すべき実績補償金はその半額の八六万五〇〇〇円となる。

(3200万円-100万円)×100分の5+18万円=173万円

原告は、本件において「国有特許権実施契約書」を援用し、これを「相当な対価」計算の根拠とすべき旨主張する。しかし、右契約書は公務員の職務発明に関するものではなく、国が国有特許を民間人に対し実施許諾する際に締結する契約の契約書式であるから、これを本件に適用する余地はない。

3 弁済供託

被告は、平成元年五月二四日、原告に対し、口頭で前記実績補償金八六万五〇〇〇円の弁済の提供を申し出たが、原告は、受領を拒絶した。そこで、被告は、平成五年三月二日、大阪法務局に右金額を弁済供託した。

4 相当な対価額

被告が原告に対し弁済供託した実績補償金額八六万五〇〇〇円は、特許法三五条三項にいう「相当な対価」というべきである。詳細は次のとおりである。

(一) 第一発明の技術的価値

第一発明は、真空工程にチップ管方式を採用してステンレス鋼製マホービンを製造する際、内瓶の外表面に銀鏡メッキを施す製造方法を使用する場合にのみ用いられる技術であり、かつ、それ以外には用途のない技術である。ステンレス鋼製マホービンのようなステンレス鋼製真空二重容器の真空工程には、チップ管方式と真空炉方式の二種類の方式であるが、マホービン業界においてチップ管方式を採用しているのは被告のみであり、同業他社は全て真空処理に真空炉方式を採用している。そして、「真空炉方式」では、ステンレス鋼の二重壁構造体の排気孔の封止には、耐蝕性等を考慮してニッケルを成分とするろう材を使用しているが、右ろう材の溶融温度は摂氏約一〇〇〇度前後であるから、右排気孔を封止処理するためには、真空炉内を摂氏一〇〇〇度以上の高温に昇温しなければならない。一方、内瓶(内容器)の外表面に施されるメッキ処理は排気処理工程の前に既に行われていなければならないから、当然そこで用いられるメッキ材は摂氏一〇〇〇度以上の高温でも溶けない材質のものでなければならない。ところが、銀の場合、その溶融温度は摂氏約九六〇度であるから、真空炉内を摂氏一〇〇〇度以上の高温に昇温すると、銀のメッキ材は溶けて流れ落ちてしまう。したがつて、真空炉方式において内瓶の外表面のメッキに銀鏡メッキ法を用いることは不可能であり、真空炉方式を用いている被告以外のステンレス鋼製マホービンの製造メーカーが第一発明を実際に実施する余地は皆無である。

また、第一発明の技術的思想の特徴は、<1>内瓶(内容器)の外表面に酸化被膜を形成した点と、<2>右酸化被膜の上に銀鏡層を形成した点にあるが、これは、被告において第一発明に先行して開発を進めていた、社内でZ方式(「Z」は被告の商号のローマ字表記の頭文字をとつたものであり、原告本人もそのことは認めている。)と称されていた、ステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)の外表面のメッキ技法を研究中の試作品の製作過程において偶々見い出されたものであり、チップ管方式(真空工程)と無電解銀メッキ法(メッキ工程)の実施という被告における従来の製造方法の技術的系譜の延長線上にある技術的思想である。すなわち、Z方式とは、ステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)ないし外瓶(外容器)の空間部側表面にガラス質からなる薄膜を形成し、その薄膜を焼成した後ガラス質層の表面に銀鏡メッキ処理を施すことにより、ステンレス鋼の表面に銀メッキする方法であるから、第一発明の銀メッキ法とは、ガラス質層を焼成するか、酸化被膜を焼成するかという点では異なるものの、焼成温度等のその他の処理条件では類似している。そして、Z方式による製品の試作中、偶々ガラス質層が形成されていないステンレス鋼の表面の素地部分に直接銀鏡層が形成されていることが発見され、このステンレス鋼部分の素地の表面に酸化被膜が形成されていることが確認され、そのことが切つ掛けとなつて第一発明が完成したのである。なお、原告は、本件訴訟の口頭弁論終結の間近になつてこのZ方式に関する特許公報(甲一三、特公昭五七--五〇四九一号)を提出した。確かに、右特許公報には原告が発明者となつているが、Z方式については、右特許公報記載の発明が唯一の発明というわけではない。すなわち、Z方式について特許第一二〇二七七五号「金属製魔法瓶の製造方法」及び特許第一一三五六三二号「金属製魔法瓶およびその製造方法」が、いずれも被告代表者市川博邦及び被告の協力会社の一つである三容真空工業株式会社代表者北畠顕弘の共同発明として既に登録査定されている。仮に原告が甲第一三号証によつて第一発明がZ方式を基本にして創作されたとする被告の主張を認めた上で、そのZ方式自体もまた原告の貢献度が大である旨を立証しようとするのであれば、これまた失当というほかない。何故ならば、Z方式は、被告の社内の総意の下に開発されたものであり、原告は、当時その開発担当の一部門に従事し、その結果出願されたものが甲第一三号証の発明にほかならないからである。因みに、被告は右発明を実施していないが、原告に対しては、その出願権譲渡補償金及び登録補償金合計五万円を既に支払済みである。

また、被告は、ステンレス鋼製マホービンの製造に一時期、第一発明を実施した銀鏡メッキ法と共に、電解銀メッキ法と電解銅メッキ法を併用していたが、銅箔巻法を採用した製品の量産体制が完成された段階で、銀鏡メッキ法(第一発明)の使用は全部廃止するに至つた。このことは、銀鏡メッキ法(第一発明)がステンレス鋼製マホービンの製造にとつてコスト軽減のメリットしかなかつたことを示している。

(二) 第一発明に対する原告の貢献度

ゲッターの開発を含めたステンレス鋼製マホービンの製造方法に関する基礎技術の研究開発、その商品化、大量生産のための具体的製造工程の確立、及び他の機種との性能の比較や製造コストの比較等の多くの技術テーマは、例えば真空技術一つだけを取り上げても、単にサエス社製の新開発ゲッターST--七〇七の採否の問題を解決すれば足りるといつたものではなく、全て原告一個人では到底よく成し得るところではないのであつて、被告の会社全体の人的・物的諸設備を含めた総合力を結集してこそ初めて成し得たものである。したがつて、被告の第一発明に対する貢献度は少なくとも八〇パーセントを下らず、反面、原告及び田口のそれはどんなに大きく見積もつても二〇パーセント程度に止まるから、結局、原告の第一発明に対する貢献度は最大限でも一〇パーセントと評価されるべきである。

(三) 第一発明の実施料率

被告が他社に特許発明の実施許諾をし、又は他社から実施許諾を受けた最近の具体例をみると、通常の許諾条件の下におけるステンレス鋼製マホービンに関する特許発明の実施料率は概ね〇・一パーセントないし〇・二パーセントの範囲内にある。そして、前記したように第一発明が第三者に対して実施許諾をする余地のないものであることを考慮すると、その実施料率は右範囲内の下限値である〇・一パーセントとみるのが相当である。

(四) 相当な譲渡対価額の計算

以上によれば、第一発明の実施により被告が支払うべき相当な譲渡対価額は、次の算式のとおり八〇万円となる。

2、000円(1本当たりの平均売上額)×4、000、000(総売上本数)×0・001(実施料率)×0・1(寄与率)=80万円

また、民間企業における職務発明に対する補償実績に関する実態調査の結果をまとめた、社団法人発明協会発行の「企業内発明と補償金」(昭和五七年二月一日初版)によれば、職務発明の自社実施の場合、職務発明規程上の実績補償金の最高限度額の平均額は三八万円、昭和五三年度に企業が従業員に実際に支払つた職務発明一件当たりの最高支払額の平均額は一六万円とされている。第一発明の出願公開後の実施期間は約三年九か月であるから、原告の取得すべき相当な譲渡対価額は、前者の平均額を基準に計算すれば七一万二五〇〇円(三八万円×三・七五÷二)、後者の平均額を基準に計算すれば三〇万円(一六万円×三・七五÷二)となる。

以上の試算結果に照らしても、被告が原告に対し支払を申し出た実績補償金額八六万五〇〇〇円は、特許法三五条三項にいう「相当な対価」であることが検証できるものというべきである。

第四  争点に対する判断

一  争点1(本件発明は職務発明に該当するか)

原告が、本件発明をした当時、被告の商品試験所所長の地位にあつたことは当事者間に争いがなく、本件発明が、その性質上、被告の業務範囲に属するものであることは明らかである。もつとも、本件全証拠によるも、原告が被告から本件発明を完成すべき旨の具体的な命令ないし指示を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、《証拠略》によれば、<1> 本件発明当時、被告社内において密かに開発中であつたステンレス鋼製マホービンの新製品の製造方法に関する基礎技術として、ステンレス鋼製真空二重容器の内容器(内瓶)と外容器(外瓶)との間の空間部の高真空技術及びメッキ技術の研究開発が必須であり、右研究開発は被告が自社技術開発の方針を打ち出した昭和五三年頃以降、全社一丸となつて会社の人的・物的資源を総動員してでも解決すべき喫緊の技術的課題となつており、被告代表者ら経営陣のトップは「ガラス製マホービンよりも性能の優れた日本一のステンレス鋼製マホービンを作れ。」と関係部署に対し命令ないし指示をしていたこと、<2> 被告は、昭和四九年五月三一日付で社内の技術研究部門をまとめて技術本部として独立させ、その傘下に技術管理部、開発部、品質管理部(品質管理課・検査課)及び商品試験所を所属させたが、昭和五三年二月二一日実施の被告制定の職務分掌規定によれば、本件発明当時、技術本部は、「新製品、改良品の開発、研究の策定」を主たる職務としており、これに対し、商品試験所の職務分掌事項中には、同じく技術本部に所属する技術部の場合のように、「新製品の技術的開発に関する事項」といつた新製品の技術的開発自体を直接指し示すような文言はなかつたけれども、そうかといつて、商品試験所の所管事項は、原告の主張するような自社製品及び他社製品の性能の試験評価といつた狭義の製品試験業務にのみ限定されていたものではなく、「1 自社新製品・改良品の商品性試験評価及び経常生産後の不定期品質確認試験評価、2 他社製品の性能試験評価、3 原価低減の為の材料部品の試験評価、4 関係部室の依頼にもとづく製品、部品、材料等の試験評価、5 諸試験結果に関する関係部室への情報提供、6 諸試験結果に関する資料の整理並びに保管、7 モニター制度の運用及び管理、8 所内試験機器の保守及び管理」といつた多岐にわたるものであつたこと、<3> 実際にも、商品試験所は、当時新製品の開発に際しては必ずこれに関与し、開発部により設計・開発された製品について、量産までにテストと実験を繰り返して製品の良否を確認し、また、具合の悪い点があれば、構造変更及び設計変更を申し出、その結果を踏まえて開発部が対策を講じ、最終設計に入るという任に当たつていたこと、<4> 原告は、かかる商品試験所の最高責任者として管理職的立場から所属職員の管理監督に任ずるとともに、直近上級の技術本部の所管事項である新製品の研究開発途上に生じる各種の技術問題についても、これを迅速かつ適切に解決処理し、その研究開発に寄与すべき一般的職責を有し、殊に当時全社で取り組んでいた前記高真空技術及びメッキ技術の自社技術開発という被告会社全体が抱えていた経営方針を遂行するために、単に開発部門の研究開発に助力するのみならず、自らも適切な着想があれば、これを積極的に開発部門に提示するなどして右自社技術開発の経営方針を強力に推進すべき具体的任務を有していたものと推認するに難くないこと、<5> 商品試験所には、当時前記高真空技術及びメッキ技術の研究開発に必要な各種実験装置が設置され、右各装置で用いるゲッター等の実験用資材の購入費用は全額被告の出捐において賄われ、原告は、全て勤務時間中に、被告の提供したこれらの資材を用い、商品試験所及び工場等の機器、設備を使用し、かつ、商品試験所所属の部下職員は勿論、工場等の従業員の協力を得て研究試作を進め、本件発明を定成したこと、<6> 本件発明は商品試験所所長の原告が、所長の指示命令として、同試験所係長田口に発明の課題及び試験研究方法を指示してしたものであり、田口も所長の職務上の指示命令として研究に従事し、原告と共同して発明を完成したものであること、<7> 被告の創業は古く一九一八年(大正七年)に遡り、被告は、それ以来社内で会社の営業目的であるガラス製マホービンの製造に関して幾多の発明考案や経験及びノウ・ハウ等を蓄積してきたものであり、本件発明は、それらを利用して完成されたいわゆる工場発明の色彩が濃厚であること、<8> 原告は、当時高真空技術及びメッキ技術等の研究開発を目的として社内で度々催されていた各種会議や打ち合せに職務上殆ど欠かさず出席しており、その席上、自己の研究の進捗状況を報告して意見を具申していたほか、昭和五五年八月には開発部門及び生産部門等の代表者と共に社内に設けられたステンレス鋼製マホービン開発のための拡大プロジェクトチームの一員に就任してその一翼をにない、実際の製品生産の場面にも深く関与しただけでなく、昭和五七年二月には、社命で社費を用いてイタリア国ミラノ市所在のサエス社本社におけるステンレス鋼製マホービンの寿命予測に関する技術討議等のために欧州出張をするなど、当初から一貫して社内においてステンレス鋼製マホービンの製造方法の研究開発陣の中で重要な役割を分担していたこと、<9> 原告は、被告に在職中、本件発明以外にも他の従業員と共同で、あるいは単独で被告の事業に係わる多数の発明や考案をし、その発明等につき特許等を受ける権利を被告に承継させ、それらについて被告を出願人として、特許出願又は実用新案登録出願し、その際被告発明考案取扱規定に従い出願権譲渡補償金や登録補償金を被告から受領しており、その件数は本件発明を含めて合計一九件に達していること(拒絶査定分を含む)が認められる。

右認定事実によれば、原告が本件発明を完成するに至つた行為は、まさに原告の職務そのものに属し、本件発明は原告がその職務の遂行として完成した職務発明であると認めざるを得ない。

なお、被告から原告に対し本件発明を完成すべき旨の具体的な命令ないし指示があつたとは認められないことは前示のとおりであるが、発明を完成するに至つた行為が従業者の職務に属する場合とは、特に使用者から特定の発明の完成を命ぜられ、あるいは具体的な課題を与えられて研究に従事している場合が含まれることはいうまでもないが、そのほかに従業者が当該発明をすることをその本来の職務と明示されておらず、自発的に研究テーマを見つけて発明を完成した場合であつても、その従業者の本来の職務内容から客観的に見て、その従業者がそのような発明を試みそれを完成するよう努力することが使用者との関係で一般的に予定され期待されており、かつ、その発明の完成を容易にするため、使用者が従業者に対し便宜を供与しその研究開発を援助するなど、使用者が発明完成に寄与している場合をも含むと解するのが相当であるから、本件発明が職務発明に該当しない旨の原告主張は到底採用し難く、右主張を前提とする原告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。そこで、以下予備的請求について判断する。

二  争点2(被告は第二発明を実施したか)

1  被告のステンレス鋼製マホービンの製造方法

被告の製造開始時から現在までのステンレス鋼製マホービンの製造方法には次の三種類があることが認められる。

(一) 被告は、昭和五六年初め頃から昭和六二年末までの間、内瓶のメッキ処理に電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法を、真空処理にチップ管方式を用いた被告方法{1}により、ステンレス鋼製マホービン約五〇〇万本を製造した。

(二) 被告は、昭和五八年一月から昭和六二年末までの間、右(一)の製造と併行して、内瓶のメッキ処理に銀鏡メッキ法を、真空処理にチップ管方式を用いた被告方法{2}によりステンレス鋼製マホービン約四八〇万本を製造した。被告方法{2}が第一発明の技術的範囲に属することは被告も認めている。

なお、第二発明は、先にゲッターを装着した二重容器を製造し、その後この二重容器の空間部の表面に銀鏡メッキを施すことを特徴としている。しかし、この製造方法では、量産工程の途中において、銀鏡メッキが正しく行われ、空間部の表面に銀メッキが確実に施されたか否かを目視検査によつて確認することができず、メッキ不良品は、排気処理後の製品の保温検査の段階に至つてようやく保温不良品として発見されることになる。しかし、その時点では、もはや製品の手直しは困難であるから、結局不良品は廃棄処分せざるを得ず、完成品中の不良品混入率が高まるという欠点を免れ難い。そこで、被告は、第二発明の実施を断念し、現実の量産工程では、銀鏡メッキ処理の適否を早い段階で目視検査により確認することができ、かつ、製品の手直しも容易な被告方法{2}を採用した。

(三) 被告は、昭和六二年六月頃以降現在まで、内瓶のメッキ処理に銅箔巻法を、真空処理にチップ管方式を用いた被告方法{3}によりステンレス鋼製マホービンを一〇〇〇万本以上製造している。なお、被告方法{3}は、保温性能が向上すること及び製造工程が極めて簡単であり、生産性が良く、安価に製造できることなどの理由により、昭和六三年初めからはすべてのステンレス鋼製マホービンを右方法により製造している。

2  被告方法と第二発明との比較

まず、被告方法{1}及び{3}と第二発明とを比較すると、これらはいずれもステンレス鋼製真空二重容器の製造方法であるが、被告方法{1}及び{3}は、第二発明の構成要件のうち、少くとも「二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」構成要件を具備しないことは明らかである。したがつて、被告方法{1}及び{3}は、第二発明の技術的範囲に属しない。

次に、被告方法{2}と第二発明とを比較すると、第二発明は、特定の結果を生ずることを目的として、系列的に関連のある数個の行為を時間的な前後関係をもつて連続して行うことを内容とする方法の発明である。したがつて、特別の事情のない限り、第二発明を構成する数個の工程と同様の工程を含む方法であつても、各工程の時間的な前後関係が第二発明のそれと異なる場合には、右方法は第二発明の技術的範囲に属しないものとなる。これを本件についてみるに、第二発明では、「二重容器を構成するステンレス鋼製の一部品の空間部形成面にZr--V--Fe三元合金系非蒸発性ゲッタを装着し、核部品を他の部品と共に溶接して二重容器とな」す工程の後に「該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」工程が配されており、特許請求の範囲にもその施行順序が「……二重容器となし、次いで該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」と明記されているのに対し、被告方法{2}においては、第二発明の「該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」工程に相当する別紙被告方法目録{2}記載<3>の「酸化被膜を形成した内瓶(内容器)の外表面の該酸化被膜上に銀鏡層を形成して銀メッキを施す」工程の後に別紙被告方法目録{2}記載<4>の「仮底を外し、内瓶(内容器)内部のメッキ処理の具合を目視検査により確認する」工程が、その後に第二発明の「二重容器を構成するステンレス鋼製の一部品の空間部形成面にZr--V--Feの三元合金系非蒸発性ゲッタを装着し、該部品を他の部品と共に溶接して二重容器とな」す工程に相当する別紙被告方法目録{2}記載<5>の「ゲッターを装着したチップ管のある本底を外瓶(外容器)に溶接して二重壁構造とする」工程が配されているのであるから、原告主張のとおり別紙被告方法目録{2}記載<3>の工程が第二発明の「該二重容器の空間部に銀鏡メッキ液を導入して銀鏡メッキする」に相当するものであるとしても、各工程の時間的な前後関係は、第二発明のそれとは明らかに異なるものであるから、被告方法{2}は、第二発明の技術的範囲に属しない。結局、本件全証拠によつても、被告が第二発明を実施した事実を認めることはできない。

3  原告の主張について

原告は、第一発明と第二発明は銀鏡メッキ処理の構成(第一発明)において重なり合う、したがつて、第二発明を利用することは、必然的に第一発明を利用するという関係にある、被告は、昭和五八年一月頃から昭和六三年一月頃までの間に、本件発明を併用して少なくとも合計一五〇〇万本のステンレス鋼製マホービンの被告製品を製造販売したものであり、この間、被告は、サエス社から千数百万個のゲッターST--七〇七を購入しており、仮に被告がある時点以降内瓶の外表面に銀鏡メッキ処理を施した後にゲッターST--七〇七を装着した部品を取り付ける製造方法を採用したとしても、それはゲッターST--七〇七を装着したうえで銀鏡メッキ処理ができるという第二発明の作用効果の一部を享受していないのみで、その余の第二発明の作用効果は全て享受しているものといえる、そうすると、被告の製造販売するステンレス鋼製マホービン製品は、ゲッターST--七〇七を使用している点では全ての製品が共通しているから、被告の製造販売するステンレス鋼製マホービン製品である限り、全て第二発明を利用しており、その結果、被告は、右被告製品全部について第一発明を併用していることになるから、被告は、本件発明をいずれも実施したものといえる旨、また、サエス社製の新開発ゲッターST--七〇七をステンレス鋼製マホービンのステンレス鋼がその内部から内瓶(内容器)と外瓶(外容器)との間に形成される空間部真空中へ放出するガスの吸着材として使用することは、開発者のサエス社自身全く思いも及ばなかつた原告の独創的技術的思想の所産であり、それ自体において産業上利用可能な新規性のある技術的思想である、そして、その点は、保温機能の構成においてゲッターST--七〇七と無電解銀メッキ法を組み合わせた点についても全く同様に言うことができる、したがつて、たとえ被告主張のようにステンレス鋼製マホービンの製造工程においてゲッターを装着せずに銀メッキ処理を施したうえで、その後ゲッターST--七〇七を装着したとしても、第二発明を実施したことに変りはない旨主張する。しかしながら、右原告主張は、特許請求の範囲の記載ないし本件発明の構成要件を無視し、特許請求の範囲の記載中の一部分ないし構成要件の一部でも具備すれば特許発明の技術的範囲に属しその実施に当たると主張するものに外ならず、採用し得ないことは明らかである。

三  争点3(相当な譲渡対価額)

1  特許法三五条三項、四項には、従業員が職務発明について使用者に特許を受ける権利を承継させたときは、相当の対価の支払を受ける権利を有すること、その対価の額は、その発明により使用者が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者が貢献した程度を考慮して定めなければならない旨規定されている。そして、契約・勤務規則等に別段の定めのない限り、右相当な対価の支払請求権は、特許を受ける権利の承継の時に発生し、対価の額はその時点における客観的に相当な額を定めるべきものと解するのが相当であるが、承継の時より後に生じた事情、例えば、特許権の設定登録がされたか否か、当該発明の独占的実施又は実施許諾によつて使用者が利益を得たか否か、得た場合はその利益の額等も、右時点における客観的に相当な対価の額を認定するための資料とすることができるものと解するのが相当である。なお、被告は職務発明たる本件発明については当然に無償の通常実施権を有するのであるから、同条にいう使用者が「受けるべき利益」とは、被告がその発明を実施することによる利益をいうものではなく、それを超えて、権利の譲渡を受けたことにより得られる権利を独占すること(特許法等により法律上他者に対してその発明の実施を禁止し、又は許諾し得る場合と、その技術を秘匿して事実上その技術を独占し得る場合とがある。)による利益をいうものである。また、特許を受ける権利の譲渡を受けた職務発明を被告が実施して商品を製造販売している場合、その製造販売をすることができる法的根拠は、被告がその権利について無償の通常実施権を有するからではあるけれども、それだけの製造販売の実績をあげることができた経済的理由は、被告の企業努力は勿論であるが、それ以外にそれを超えて、被告が権利の譲渡を受けてその発明の実施権を独占することができたことに基因する部分があることは明らかである(すなわち、被告の販売実績は法定の通常実施権を得ての企業努力に基づく部分と独占権に基づき他企業の製造販売を禁止することができた結果に基づく部分の合計であると考えられる。)。そこで、以下具体的に検討する。

2  第一発明に関する相当な対価額

(一) 第一発明の実施品の売上総額

被告は昭和五八年一月から昭和六二年末までの間に第一発明(銀鏡メッキ法)の技術的範囲に属する被告方法{2}によりステンレス鋼製マホービンを総計約四八〇万本製造販売したと認められる。なお、原告は、被告が本件発明を実施してステンレス鋼製マホービンを一五〇〇万本以上製造した旨主張するが、右原告主張は、本件発明の技術的範囲ないし実施に関しとうてい採用できない独自の見解を基礎とするものであるうえ、的確な裏付を欠くから採用できない。

次に、右第一発明の実施品の販売単価について考えるに、右実施品の一本当たりの標準小売価格は、概ね三〇〇〇円から九〇〇〇円の範囲内で各種のものがあり、販売開始後もその額に若干の変動があることが認められ、その被告販売単価についても、個別商品の種類毎にその金額を具体的に明らかにし得る証拠資料はなく、その点は不明という外はないが、原被告とも被告の平均販売単価を二〇〇〇円とする点では共通であり、そのことを前提に主張を構築しているから、右金額を基礎に右実施品の推定売上高を認定するのが最も妥当と考えられる。なお、第一発明の技術的意義は、新たにステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)の外表面の銀メッキ処理の一つの技法を確立した点にあるものと認められるが、右銀メッキ処理は、機構上も、商品価値の構成上も、ステンレス鋼製マホービン全体と密接に結合した関係にあるので、第一発明の実施料額の算出に当たつては、右銀メッキ処理の費用だけを対象とすべきものではなく、ステンレス鋼製マホービン全体の価格を基礎にしてこれを算出するのが相当である。

そこで、以上の販売数量及び販売単価を基礎に、第一発明の実施品の被告売上総額を計算すると、次の算式のとおり九六億円となる(なお、被告は第一発明につき特許を受ける権利を譲り受けた以上、現実に特許出願をすることも、出願をせず、ノウ・ハウとして技術を秘匿することもできたわけであるから、第一発明による実施品の売上高計算を出願公開日以降に限定する理由はない。)。

2、000×4、800、000=9、600、000、000

(二) 実施料相当額

第一発明はステンレス鋼製マホービンの保温力維持というその中核的機能に関するもので、製品の販売成果にもかかわる重要なものであるが、それは真空処理等の同様に高度の技術を要するその他の工程とも有機的に密接に関連するものであり、被告は、著名な会社であり、同業他社であるタイガー魔法瓶と業界をほぼ二分する強力な営業力を有しており(弁論の全趣旨)、仮に同業他社が第一発明についてのみ特許を受ける権利の譲渡を受けたとしても、ただちに被告と同程度の売上を得ることは困難と考えられること、一般にステンレス鋼製マホービンのような家庭用金属製品の場合、商品のデザインの良否や宣伝広告の態様等の、商品の性能や機能に関する技術内容以外の諸要因も売上の多寡に多大の影響を与えるものと考えられること等、本件に現われた一切の事情に鑑み、第一発明の実施品の右売上総額のうち、同発明につき特許を受ける権利を譲り受けたこと、すなわち同業他社に対し同発明の実施を禁止することができたことに基因する部分はその三分の一と推認するのが相当であるから、その部分は次の算式のとおり三二億円となる。

9、600、000、000×1/3=3、200、000、000

次に、第一発明を第三者に実施許諾したと仮定した場合の実施料率を考えるに、第一発明については第三者に実施許諾した例があるものとは認められないので、これを直接認定するに足りる証拠はないが、社団法人発明協会が行つた昭和四九年から昭和五二年の間に締結された実施許諾契約の実態調査の結果(「実施料率〔第4版〕」、編者社団法人発明協会研究所、発行社団法人発明協会)によれば、第一発明の実施品が属する金属製品の、イニシャル(頭金)なしの場合の実施料率のばらつきは一パーセントから一九パーセントで、最頻値三パーセント、中央値が三パーセント、平均値が四・六四パーセントであること、一般にステンレス鋼製マホービンのような家庭用金属製品の場合、その形状、構造は単純ではあるが、一つの商品(取引単位)に対し多数の技術(権利)が絡むため、各技術(権利)の適用(利用)率によつて低率化をきたす傾向があるものと認められること(弁論の全趣旨)等を考慮すると、第一発明を第三者に実施許諾したと仮定した場合の実施料率は二パーセントと認めるのが相当である。そうすると、同発明につき特許を受けることができる権利を譲り受けたことにより被告が受けるべき利益に相当する、同発明を第三者に実施許諾した場合の実施料相当額は、次の算式のとおり六四〇〇万円となる。

3、200、000、000×0・02=64、000、000

同発明の発明者は二名であるから、その二分の一に相当する三二〇〇万円が原告持分に相当する部分ということになる。

(三) 対価相当額の認定

《証拠略》によれば、<1> 被告は、従来用いていた電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法に比べ、第一発明(銀鏡メッキ法)を使用することによつて真空二重容器の内容器(内瓶)のメッキ処理のコストを大幅に軽減させることが可能となつたこと(一本当たりの軽減額について、原告本人は少くとも約二八〇円〔三〇〇円-一〇数円〕と供述し、被告は約三二円五〇銭と主張するが、その正確な軽減額を認定するに足りる証拠はない。)、<2> また、被告は、第一発明(銀鏡メッキ法)を使用したメッキ処理に際し、従来からガラス製マホービンの製造に使用していた社内のメッキ処理設備を流用することができ、外注に依存せざるを得なかつた電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法を使用したメッキ処理の場合に比べ、より安定した製品の供給が可能となつたこと、<3> 同業他社は、ステンレス鋼製マホービンの製造開始以来現在まで一貫して真空二重容器の内容器(内瓶)のメッキ処理方法として電解銅メッキを使用しているのに対し、被告は、電解銀メッキ法又は電解銅メッキ法→第一発明(銀鏡メッキ法)→銅箔巻法というように、メッキ処理コストの軽減に向けて適時に柔軟に対処し得たのであるが、その要因としては、右メッキ処理工程の変遷過程の中間段階に位置する第一発明(銀鏡メッキ法)の使用を独占し、その点で同業他社の追随を許さずに済んだことも大きく寄与しているものと考えられること、<4> ステンレス鋼製マホービンの市場は、昭和五七年に年間約一一三万本であつたのに対し、昭和六一年には年間約七八三万本と約七倍の急成長を見せ、数量ベースではマホービン製品全体の約二五パーセントを占めるに至つたが、昭和六二年頃から次第に成長率が鈍化するに至つていること、<5> ステンレス鋼製マホービンのようなステンレス鋼製真空二重容器の真空工程には、チップ管方式と真空炉方式の二種類の方式があるが、マホービン業界においてチップ管方式を採用しているのは被告のみであり、同業他社は全て真空工程に真空炉方式を採用しており、「真空炉方式」では、ステンレス鋼製の二重壁構造体の排気孔の封止には、耐蝕性等を考慮してニッケルを成分とするろう材を使用しているが、右ろう材の溶融温度は摂氏約一〇〇〇度前後であるから、ステンレス鋼の排気孔を封止処理するためには、真空炉内を摂氏一〇〇〇度以上の高温に昇温しなければならず、一方、内瓶(内容器)の外表面に施されるメッキは排気処理工程の前に既に行われるから、そこで用いられるメッキ材は摂氏一〇〇〇度以上の高温でも溶けない材質のものでなければならないが、銀の場合、その溶融温度は摂氏約九六〇度であるから、真空炉内を摂氏一〇〇〇度以上の高温に昇温すると、銀のメッキ材は溶け落ちてしまうため、真空炉方式において内瓶の外表面のメッキに銀鏡メッキ法を用いることは困難であること、<6> 第一発明の技術的思想の特徴は、内瓶(内容器)の外表面に酸化被膜を形成したうえ酸化被膜の上に銀鏡層を形成した点にあり、その焼成温度は二五〇度シー~五五〇度シーを想定しているが(公報(1)実施例表1)、これは、被告において全社をあげて第一発明に先行して開発を進めていた、社内でZ方式(「Z」は被告の商号のローマ字表記の頭文字をとつたものである。)と称されていた、ステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)の外表面のメッキ技法を研究模索中、試作品の製作過程において失敗例の中から偶々見い出されたものであり、被告における従来の無電解銀メッキ法(メッキ工程)技術的系譜の延長線上にある技術的思想であること、すなわち、Z方式とは、ステンレス鋼製マホービンの内瓶(内容器)ないし外瓶(外容器)の対向面側表面にガラス質からなる薄膜を形成した後、その薄膜を焼成してガラス質層の表面に銀鏡メッキを施すことにより、ステンレス鋼製マホービンのステンレス鋼の表面にメッキ処理を施す方法であり、被告は、開発段階の初期に次の特許出願をしているが、

(1) 発明の名称 金属製魔法瓶の製造方法

出願日 昭和五四年一一月三〇日(特願昭五四--一五六〇八四号)

出願公開日 昭和五六年七月一日(特開昭五六--八〇二二四号)

特許請求の範囲「1 外瓶に排気管及びゲッター物質を設けたのち、その外瓶と内瓶を結合し、このようにして得られた二重瓶の内壁面にSiO2膜を形成し、その上に銀メッキを施こし、次に、真空雰囲気内へ搬入して上記ゲッター物質を加熱したのち、上記排気管を封止し、その後真空雰囲気内から外部へ取り出すことを特徴とする金属製魔法瓶の製造方法。」

(2) 発明の名称 金属製魔法瓶およびその製造方法

出願日 昭和五四年一二月一四日(特願昭五四--一六二九八七号)

出願公開日 昭和五六年七月一一日(特開昭五六--八五三一四号)

特許請求の範囲「1 金属製の内瓶と外瓶とで形成され、内外瓶間の空間部を真空にしてなる金属製二重瓶からなり、前記空間部を形成する内外瓶の表面上に二酸化珪素を主成分とするガラス質層を形成すると共に、該ガラス質層上に銀鏡層を積層して成ることを特徴とする金属製魔法瓶。

2  金属製の内瓶と外瓶とを結合して二重壁構造となし、前記内外瓶間の空間部を形成する内外瓶表面に有機珪素化合物からなる薄膜を形成した後、該薄膜を焼成して二酸化珪素を主成分とするガラス質層を形成し、該ガラス質層表面を親水性付与剤で処理した後、該ガラス質層表面に銀鏡液を接触させてガラス質層上に銀鏡層を形成させ、次いで前記空間部を真空処理することを特徴とする金属製魔法瓶の製造方法。3 金属製の内瓶と外瓶とを結合して二重壁構造となし、前記内外瓶間の空間部を形成する内外瓶表面に高温下無機珪素化合物溶液を接触させて二酸化珪素を主成分とするガラス質層を形成し、該ガラス質層表面に銀鏡液を接触させてガラス質層上に銀鏡層を形成させ、次いで前記空間部を真空処理することを特徴とする金属製魔法瓶の製造方法。」

(3) 発明の名称 金属製魔法瓶の製造方法

出願日 昭和五五年四月五日(特願昭五五--四四八三七号)

出願公開日 昭和五六年一一月七日(特開昭五六--一四三一二一号)

特許請求の範囲「1 金属製の内瓶と外瓶とを結合して両瓶間に空間部を有する二重壁構造となし、前記空間部を形成する内瓶の外表面と外瓶の内表面に変性剤を含有する珪酸カリウム、または変性珪酸カリウム系化合物からなる薄膜を形成した後、該薄膜を焼成して変性珪酸カリウム系化合物を主成分とするガラス質層を形成させ、該ガラス質層の表面に銀鏡形成処理を施して銀鏡層を積層し、次いで前記空間部を真空処理することを特徴とする金属製魔法瓶の製造方法。2 前記変性珪酸カリウム系化合物がSiO2二〇~二五パーセント、K2O五~一〇パーセント、Li2O二・五~五パーセント、B2O5〇・五~一パーセントからなる特許請求の範囲第1項記載の方法。3 焼成温度が一二〇~三五〇度シーである特許請求の範囲第1項または第2項記載の方法。4 前記変性珪酸カリウム系化合物からなる溶液が非イオン系界面活性剤を含有する特許請求の範囲第1項~第3項のいずれか一項記載の方法。」

これらの発明は、ガラス質層を焼成するか、酸化被膜を焼成するかという点では異なるものの、焼成温度等のその他の諸条件では第一発明に類似しており、Z方式による製品の試作中、偶々ガラス質層が形成されていないステンレス鋼表面の素地部分に直接銀鏡層が形成されていることが発見され、その場合ステンレス鋼の素地の表面に酸化被膜が形成されていることが確認されたことが切つ掛けとなつて第一発明が完成したものであること、以上の事実が認められる。

右認定事実に加え、前示のとおり第一発明当時原告は商品試験所所長の地位にあり、同発明は原告の職務の遂行そのものの過程で得られたものであること、同発明は、被告従業員の協力を得た上、創業以来被告の社内に蓄積されてきたガラス製マホービンの製造に関しての幾多の発明考案や経験及びノウハウ等を利用して成立したいわゆる工場発明の色彩が濃厚であり、原告としては、被告の設備及びスタッフを最大限活用して発明を完成したものであること、その他本件に現われた一切の諸事情を総合考慮すると、同発明について被告が貢献した程度を考慮すれば、右(二)認定の被告が受けるべき利益の二分の一(二名の共同発明)の三二〇〇万円の二〇パーセントに相当する六四〇万円をもつて同発明につき特許を受ける権利の譲渡に対する相当な対価と認めるのが相当である。

3  第二発明についての相当な対価額

第二発明については、前判示のとおりこれを被告が実施した事実を認めるに足りる証拠はなく、また同発明につき特許を受ける権利の譲渡を受けたことにより被告が「受けるべき利益の額」についての具体的な立証はない。そして、前判示のとおり、第二発明の製造方法では、量産工程の途中において、銀鏡メッキが正しく行われ、内瓶(内容器)の外表面に銀鏡メッキ処理が確実に施されたか否かを目視検査によつて確認することができず、したがつて、メッキ不良は排気処理後の保温検査の段階に至つてようやく保温不良品として発見されることになるが、その時点ではもはや製品の手直しは困難であるから、不良品は廃棄処分せざるを得ず、完成品中の不良品混入率が高くなるという欠点を免れ難いものである。したがつて、非高温ゲッターの存在を被告に知らしめたことは原告の一つの功績であるとしても、第二発明は実際の工業的利用価値に乏しく、同発明につき特許を受ける権利の譲渡を受けたことにより被告が「受けるべき利益の額」は僅少と評価せざるを得ず、結局、被告発明考案取扱規定に基づき原告が受領ずみの出願権譲渡補償金及び登録補償金で決着ずみと認めるのが相当である。

4  被告の主張について

被告は、本件発明について、被告発明考案取扱規定に基づき、原告に対し、出願権譲渡補償金及び登録補償金を既に支給済みであり、また、実施済みの第一発明についての実績補償金についても既に弁済供託済みであつて、これらの各補償金額は特許法三五条二項にいう「相当な対価」というべきであるから、被告にはこれを超えて本件発明について原告に対価を支払うべき義務はない旨主張する。しかしながら、被告が口頭の提供を申し出た実績補償金額八六万五〇〇〇円の弁済の提供額は、前判示に照らし過少にすぎるから、弁済提供及びそれを前提とする被告主張の弁済供託はその効力を生じるに由なく、右原告主張は採用できない。

また、被告は、相当な譲渡対価を出願権譲渡補償、登録補償と実施補償に分けて、種々論じるが、特許を受ける権利を承継した使用者が、特許出願をするか否か、これらを実施するか否かは、譲受人たる使用者の自由であるから、被告主張の解釈をとると、使用者が出願も実施もせず、いわゆる企業秘密(ノウ・ハウ)として秘匿した場合には対価の請求をすることができないことになり、不合理であるし、また、特許を受ける権利という一個の権利の一回的譲渡の対価は、譲渡時において一定の額として算定しうるはずのものであるから、後に登録になつたか否か、実施により被告が現実に利益を得たか否か等の事情によつて、対価の額がその実施等の時点で初めて定まると解するのは、相当でない。もつとも、これらの事情は、譲渡時における「相当の対価」を後日評定するに当たり重要な参考資料となることは否定できないが、これが直接の算定根拠となるものではない。特許法三五条四項は、対価の算定につき、「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」を考慮すべきことを定めているが、右利益は、「受けるべき利益」と規定されていることからも明らかなように、その発明により現実に受けた利益を指すのではなく、受けることになると見込まれる利益、すなわち、使用者等が権利承継により取得し得るものの承継時における客観的な価値を指すものであることが明らかである。したがつて、これと見解を異にする被告の主張は採用できない。

また、被告は、従来の電解銅メッキ法と第一発明を実施した銀鏡メッキ法とのコストの差は製品一本当たり三二円五〇銭であるから、これにいわゆる実施料額算定についての純利益四分説(特許発明の実施行為により得ることができる利益を、資本、労働力、特許発明自体の価値等の利益に貢献する四つの要因に分配する考え方)を適用すると、製品一本当たりの実施料単価は八円となるから、被告の収入実績は、右実施料単価八円に実施対象本数四〇〇万本を乗じた三二〇〇万円となり、これを基礎に国家公務員の職務発明に対する補償金支払要領に準拠して算定すると、被告の支払うべき実績補償金額は八六万五〇〇〇円となる旨主張する。しかしながら、右被告主張は、コストの差が三二円五〇銭であることを認定するに足りる明確な証拠もなく、純利益の四分の一を実施料相当額と算定すべきとするその根拠があいまいであるうえ、本件に純利益四分説が妥当すると認めるに足りる証拠もなく(原告は無償の通常実施権を有している)、実施対象本数を四〇〇万本と過少に計上しているうえ、前記2(三)の<2>及び<3>認定の本件発明のその余の利点ないし経済的効用を無視するものであるから、採用できない。

また、被告は、被告が他社に特許発明の実施許諾をし、又は他社から実施許諾を受けた最近の具体例では、通常の許諾条件の下におけるステンレス鋼製マホービン製品にかかる特許発明の実施料率は、概ね〇・一パーセントないし〇・二パーセントの範囲内にあり、第一発明が第三者に対して実施許諾をする余地のないものであることを考慮すると、その実施料率は右範囲内の下限値である〇・一パーセントとみるのが相当である旨主張する。しかしながら、特許発明から生み出される利益は個々の各発明によつて著しく異なることは明らかであり(実際の実施料率調査結果では、そのばらつきが一パーセントから一九パーセントであることは前示のとおり。)、具体的に第一発明の実施料率を〇・一パーセントとみるのが相当であると認めるに足りる証拠もないから、右被告主張も採用できない。

また、被告は、第一発明は真空工程にチップ管方式を採用しているステンレス鋼製マホービンを製造する際、内瓶の外表面に銀鏡メッキを施す製造方法を使用する場合にのみ用いられる技術であり、それ以外には用途のない技術であるから、被告以外の真空炉方式を採用しているメーカーが第一発明を実施する余地は皆無である旨主張する。しかしながら、マホービン業界を被告とともに二分する被告のライバル会社タイガー魔法瓶が自社設備としての真空炉装置を新設して真空炉方式を採用することに確定したのは昭和五九年一〇月頃であるし、そのことは措いても、タイガー魔法瓶等のマホービン製造会社は古くからチップ管方式によりガラス製マホービンを大量に製造しているから、第一発明完成の昭和五七年七月当時仮に被告にその権利が譲渡されずにタイガー魔法瓶等ライバル会社にその情報が提供されていたならば、同ライバル会社がこの有利な第一発明を実施してステンレス鋼製マホービンの製造をしていたことはほぼ確実であると推認できるから、現在の状況下においてはともかく、原告から被告に第一発明について特許を受ける権利が承継された昭和五七年七月時点において、「被告以外の真空炉方式を採用しているメーカーが第一発明を実施する余地は皆無である」とは到底いえず、それを基本とする被告主張は採用できない。

四  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し六四〇万円及びこれに対する履行期後である昭和六三年二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官 庵前重和 裁判官 小沢一郎)

裁判官 阿多麻子は転官につき署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 庵前重和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例